前回エントリー後半部分で少し述べた「大正時代にあった紙巻鉛筆」について、画像と資料を少々。
実は大正時代ではなく明治時代に既にアイディア自体はあったようです。
これです。(これ自体は大正時代の製品でしょう)。
これを見つけた時は、「なんだか硬い鉛筆だなぁ」「軸木が黒いなぁ」としか思わず、何かのついでで一本買っただけだったのですが…。
ふとこの破損部分を見たら、あれ?木ではない?もしかして薄い紙で巻いてる?よくよく見れば紙巻きの端部分がある!印字も「KAMI EMPITSU」とある!と驚き、O’BONの例や、数年前に某氏が(ダーマトではない)紙巻き鉛筆を作ってたのを思い出して調べてみたのが随分前。うろ覚えだったので再度資料を引っ張り出してきました。
人の記憶とは曖昧なもので。再度読んだら大日本鉛筆ではなく、大日本圖書株式會○(○は社の舊漢字)時代のものでした^-^;
特許出願は明治44年3月。取得はその一ヶ月後の明治44年4月。
ちなみに大日本圖書株式會○(○は社の舊漢字)での鉛筆製造業開始は明治43年10月と資料にはあります(會社創立は明治23年3月)。製造開始から特許出願まで、その間わずか5ヶ月。特許明細書に記載されている「發明ノ詳細ナル説明」には、研究過程の相当なる苦心が偲ばれます。
私に分かる範囲で意訳すると…
・製造を容易にし材料を紙にすることで、安価に提供します
(写真以降のページで「従来の原料洋材[cederwood]は高価だから」と
その理由に述べています。「最も安價なる紙」とも記述されています。
さてどんな紙だったのか…。)
・紙のもつ脆弱性を補完し(=つまり硬く丈夫にする)、しかし削り易くする(柔粘性の付加)
腐らないようにもする
↓
・実際の文章の一部
「食物繊維ヲ腐朽セシムル薬品 例ヘバ※酸、硫酸、硝酸、苛性加里等ノ一種ノ
藥品ノ希釋溶液又ハ…」
※部分解読不能でした(汗
さらに鉛筆をよくよく見ると、(相当剥げてはいますが)単に芯に紙を巻きつけて藥品に浸しただけでなく、もしかしたら何らかの樹脂(もしかして漆?…考えづらいですが)でコーティングされてた可能性も浮かびます。下写真ですが、写真だけだと判別できないかもしれません。もっと状態の良いものを入手できるといいのですが…。
果たして本当に製造開始からわずか5ヶ月でここまで辿りつけたのか、大いに疑問です。もしかしたら、どこかの鉛筆会社をあちこちから買収・吸収したのでしょうか。もしくは研究だけ先に始めていて、製品化に見通しがたったから一気に製造を開始した?-紙巻きだけじゃなく木軸も作ってるんですよね。さらに資料を読み進めていくと、cederwoodだけじゃなくて国産木材(イチキ(イチイのことか?)又はオンコ)も使っているのです。
そして、実はコマ印には(ご存知の方にはお馴染みでしょうけども)、「コマ印十二色色鉛筆/大日本鉛筆株式會○(○は社の舊漢字)」と同マークだけれども社名の違う製品も存在します。
大日本鉛筆と大日本圖書の関係。ラインナップも多かったし工場も大きかったのに、何故途中から消えてしまったのか。
あ、そうそう。この鉛筆、爪で弾くと木軸にはない感触と音がします。
そして…、今の今まで勿体無くて削らなかったのですが、「特許を取るくらい研究して作ったモノの出来はどのくらいなんでぃ!」とカッターで削ってみたら。驚くほどの削りやすさ。現代の紙巻き鉛筆(O’BONの)や木軸(の中でも削りやすいジェルトン材)を軽く凌駕しています(体感ですが)。何故これだけのものが途中で途絶えてしまったのか。木材軸の方が材安価化と工程が安易になったのか。はたまた紙に漬ける薬品が高価になってしまったのか。使用していた紙が突然高くなったのか。そもそも、どんな風に加工していたのか(できうることなら再現したい)。
いろいろと謎(正確には、私が知らない・調べきれてない事)が多いのですが、それ解明をしていくと時間も掛かるし、何より元々のブログコンセプトである『コーリンカタログ化計画』からどんどんずれてしまってイケナイので(笑)、今日のところはここまで。
さて、次回こそは旧コーリン時代の製品をエントリーします。ぐっとくだけた可愛いモノ。時代も下り、昭和中期とおもわれる商品です。